黄色い帽子のおじさんのように

通常級在籍の不登校児を含む発達障碍3兄妹を育てる母の日記

別れの季節です

令和2年度が始まりました。そしてまたウチの庭に花が咲きました✨

f:id:unchicun:20200404132316j:image満開です。

なんかちょっと時期が早い気もしなくはないですが…。

f:id:unchicun:20200404131449j:imageこちらも。

去年と変わらない安定の花達😅

 

来年には種類を増やしたいなぁ。

 

 

4月といえば人事異動が発表されましたね。

 

 

長男の通っていた中学校、次男と長女の小学校も大きく異動がありました。

 

特に小学校は長男の頃からいた次男と長女の昨年度の担任だった先生方も異動です。

 

3つ違いの特性ありの3兄妹、私も9年間小学校と関わりを持っていますが、とうとう長男を知る先生がいなくなりました。

 

時が過ぎるのは早いです。

 

 

 

そして私にも別れの季節です。

 

5年間お世話になっていた教育相談室の心理の先生が異動となってしまいました。

 

長男が5年生の時に担当になり、私自身が問題を抱えている事に気付いてくれた先生です。

 

そこから5年。子どもの件でも学校や医療機関に何度も出向いてくれ、並行して私の問題も根気強く支援してくれました。

 

 

私は『自分の親のようになりたくないのに同じ事をしてしまう事』に悩み苦しんでいました。

 

でもどうしても感情がコントロール出来ない。いろいろ勉強したけどどうしても出来ない。

 

ある日、長男のフォローをどうするか電話で先生と話している時にトラウマ治療の話しになり、それを聞いて

「その治療、私がやって欲しいくらい」

とポロっと言葉が出たんです。

 

でもそれはそんなに深い意味はありませんでした。私は自分が辛い環境で育ってきた事にあまり気付いていなかったので…。

 

なんというか、私の育ってきた環境は私にとっては『普通』だったから。まぁ『ちょっと変な家庭で育った』程度の認識でしょうか。

 

でも先生は私のそのひと言を聞き流さず

「まずはお母さん自身の話しを聞きましょう」

と言ってくれました。

 

そして話しを聞いて先生は涙ぐんでくれました。

 

私はただ変な感覚でした。

 

私の話しを聞いて涙ぐむ人がいる。

 

私は自分自身の話しなのにどこか他人事の感覚だったので、奇妙な感覚に陥った事を今でもはっきり覚えています。

 

でも同時に『辛かったって思いを肯定しても良いのかな?』って少し思えた時でもありました。

 

そこから少しずつ支援をしてもらいながら、自己理解を深め自分を紐解いていく作業をしていく中に、子どもへの対応も上手に出来るようになっていきました。

 

自分の子どもを支援しながら、自分の過去と向き合っていく事は本当に辛い時もありました。

 

でもそこに向き合えたからこそ、子ども達の問題とも向き合えたんですよね。

 

そして先生は気長に根気よく、私にはどんな支援が出来るか考え提案してくれ、私が辛くて動けない時は代わりに学校対応もしてくれました。

 

そんな支援を5年間受けて、少しずつ私も前に進む事が出来たんです。つくづく保護者支援なくして子どもの支援はないんだなぁって自分の体験を通して思いました。

 

 

現在、教育現場に保護者自身の問題と向き合ってくれる支援者は少ないと思いますが、少しずつでもいいから私が出会った先生のような支援者が増えてくれる事を願うばかりです。

 

きっとそれが児童虐待を少しでも減らせる事にも繋がるような気がします。

 

 

 

新しい年度、子どもや保護者が見通しが立たなくて不安になる季節、今年はそこに新型コロナの問題が加わり本当に大変な状況です。

 

こんな状況だからこそ、焦らず出来る事をひとつずつやっていきたいですね😊