寒くなってきましたね。1年があっという間に過ぎていきます。
綺麗に色付いてます。教育相談室の駐車場から。
枯れ葉もたくさん落ちてます。
教育相談室の駐車場から建物の間にたくさんの枯れ葉が落ちてるんですが…。
こういう落ち葉を見ると、踏みたくなりませんか?
カシャ、クシャって音が幼い頃から大好きで、今は子どもと一緒に踏み鳴らしています🍁🎶🍂
実は…、こっそり1人でもやってしまいます。踏みたい衝動を抑えられません。怪しい大人です😅
あ、一応バレないようにさりげなくやってますよ🤫
先週、教育相談室主催の『子育て学習会』なるものに初めて参加しました。
市内の複数ある教育相談室合同の催しで、今回の参加者は適応指導教室に通室していたり、不登校の相談に通っている保護者が対象でした。
その中で私がとても気になった言葉があったんです。
それは
『子どもに共感する、寄り添う』
という言葉。
『共感・寄り添う』ってよく聞きますよね。支援者もよく使ったりもします。
でもこれって難しいなぁって最近思うんです。
上手く説明できないのですが、自分の頭を整理していく為にも今回はこの事について書きたいと思います。
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共感や寄り添いってただ子どもを肯定するだけなのかな?
たとえば子どもが
『学校を休みたい』
と言った時
『休みたければ休んでいいよ』
この返答は寄り添いなのか。
もちろん子の状態によっては十分寄り添ってる返答になると思う。
ただそうじゃない場合もあるんじゃないかって、考えるようになったんですよね。
この『そうじゃない場合もある』って事を知らない保護者は多いのではないでしょうか。
『共感・寄り添い』って子どもの心を理解して初めて出来るわけで、ここが肝要でとても難しい部分です。
本当に理解してほしい事を理解されず、表面上現れている事に『共感・寄り添い』を受けたらどうなるでしょう?
イラついたり、理解されない事にさらに傷付くかもしれません。
でも親はなんとか共感し寄り添おうとして、いろいろな思いを飲み込む。それは鉛のように重い物の時もあるわけで。
鉛のような物を必死に飲み込んで寄り添っているのに、子どもが反発してきたら親としてはもうどうしていいか分からないし、正直やってらんない!って思いになります。
だから『共感・寄り添い』という言葉は軽く扱えるモノではなく、しっかり学んだ上じゃないと親子共に危険だと思うんです。
『子どもを理解する』という事は、親が理解する事はもちろんですが、子ども自身が自分を客観的に見つめ理解し、多様な自分を認めるという事も含まれていると思います。
そして多くの子どもは、上手く出来ない自分に怒り恥を持っていて、それを直視出来ないからその負のエネルギーを他者(多くは親)に向けて爆発し、無意識に自身の問題から目を逸らしているのだと思います。
親に反発しているように見えて、実はどうにもならない自分自身に反発しているのでしょう。
だから子どもが自分自身の多様性に気付いてなければ、親が教えていく必要があるんですよね。
ここは子どもが低年齢であれば、比較的取り組みやすいと思います。
ただ思春期に入ってくると、子どもが複雑になってくるので一筋縄ではいきません。そこで親の想像力が大切になってきます。
親視点、親の性格で想像するのではなく、自分のよく知る子どもの思考で状況を想像する。自分が子どもだった頃を思い出し想像する。
そして子どもの心が持つ多様性を教えるのですが、思春期はエベレストより高いプライドがある。教えるなんて、なかなか出来ない場合もあるはずです。
だからとても難しく面倒で大変な事に親は直面する。でもこれを抜きに『共感・寄り添い』は存在しないと私は考えます。
じゃあ、そんな大変な事を親が1人でやるのか。いやぁ、それは無理ですよね。親だからこそ感情的になって見えなくなるモノもあるし。
そこで支援者の存在が大事になってきます。支援者がどう親に関わるか、これが大きな鍵となるのではないでしょうか。
次回は支援者に対し思うことを書こうと思います。
ここまで読んでくれて有難うございました😊