黄色い帽子のおじさんのように

通常級在籍の不登校児を含む発達障碍3兄妹を育てる母の日記

GW…学校に心乱されて

ゴールデンウイークが始まりましたね。我が家は国立公園に遊びに行こうと考えていましたが、夫と

「混み合うから早く出て(駐車場)並ばないとね〜」

なんて話していたら、一番楽しみにしていた長女が

「お母ちゃん、私◯◯公園に家族で行きたい」

と言い始めたんですよ。

 

その公園、徒歩1分の住宅街にあるちょっと広めの普通の公園です😅

 

我が家の3兄妹は人混みや並ぶのが大嫌い。見通しが立たないからでしょうね。特に長女はその傾向が強く、物心ついてから遊園地等には行った事がありません💦

 

こんな感じで我が家のゴールデンウイークは近場で過ごしており、今日はごくごく普通の温水プールに行ってます。お手軽な子供達です。

 

 

そして、子供を夫に任せ私は眼科に行ってきました。連休なのにものもらいが出来てしまいました。

ものもらいの原因を検索したら、睡眠不足、疲れ、ストレス…。はい、とても心当たりがあります。

 

実はとても遠出が出来る元気はなかったのです。

 

というのも、GW直前またしても学校で心折られる事があったんです。

 

次男は4年生の2学期半ばから、長女は2年生の1学期から本格的に別室登校になり、2学期は完全不登校よりの五月雨登校のようになっていました。

 

別室登校から不登校に移行したその原因の1つに教室以外に過ごす場所がないという事もありました。

 

我が子らの通う学校はマンモス校で、本来600人規模の学校に1000人を超える児童がいるそうです。だから全ての教室を使っていて別室は用意出来ないと昨年の1学期から言われ続けていたんですよ。

 

次男はそれでも本が好きだったので、図書室を別室として利用していたのですが、低、中学年に図書の授業がある時も居場所が他にないのでそのまま図書室で過ごしていました。

 

この図書室利用も紆余曲折あり、簡単に利用出来るようになったわけではなかったんです。利用後もいろいろ問題があり本当に苦労しました。

 

長女は学習障害で読み書きに苦手意識があり、それでも 最初は図書室に行っていましたが、1学期末には図書室も教室も職員室も入らなくなってしまいました。

 

その長女の手を引いて、私は学校の中を彷徨っていました。

 

行き場所がなくて児童の目に晒されながら、でも学校には少しでも行った方がいいと思っていたから。

 

次男が図書室に通っていたので長女を簡単に休ませられなかったのもあります。次男はその頃はまだ学校と繋がっていたかったのだと思います。

 

でもそのうち次男も長女も完全不登校になったんですよね。当然ですよ、そんな状況でしたから。もちろん「別室がない」それだけが理由ではないけど、落ち着ける部屋がないというのは大きかったと思います。

 

去年の1学期から管理職から言われ続けた「マンモス校だから別室はない」を信じ、それも仕方がないと学校の事情を汲み、いろんな想いを飲み込んでいました。

 

そしてこの4月、新学年になり長女がなんとか登校出来るようになりました。

 

先日、登校した長女が上手く私から離れる事が出来ない日がありここからが私の心が折れた出来事でした。

 

長女の様子を見た担任が、教室近くの物置部屋を案内しながら

 

「ここの物置部屋を落ち着くまで使って下さい。今年度はここも相談室として使います。実は去年の2学期半ばからここを別室として使っていた児童がいたんです」

と私に言ってきたんです。

 

私の頭の中は「❓❓❓」ぐるぐる。

 

あれ、昨年度別室は用意出来ないって言ってなかった?私やスクールカウンセラー、スクールソーシャルワーカーが何度も別室の必要性を訴えていたのに「場所がない」って言ってなかった?

 

しかもその物置部屋の別室利用を我が家に提案してきたのは、もう年度も終わる2月半ばだったよね?

 

私にポロッと言ってしまった担任はマズいと思ったのか

「お母さんと一緒に1日一緒にいたんで」

と慌てて弁解。

 

いや、関係ないから。マンモス校で複数の別室が用意出来ないんだから、別室登校だってスペース共有は当たり前だよ。

 

私が別室が欲しいとずっと訴えていたのは何だったのか。長女の手を引いて彷徨っていた時の私の思い。どんなに辛かったか。

 

不登校になってからも、低学年は適応指導教室に入れなくて外でも居場所がなくて辛かった。

 

別室があれば不登校にならなかったとは言い切れないし、かといって今現在行けるようになったからいいじゃないとか、そんな問題じゃない。

 

親しい先生に確認したら、その児童は親と使っていたのではなく教頭と使っていたと教えてくれました。

 

管理職は全て知っていたんですよね。どんな気持ちで別室を熱望する私の事を見てたんでしょう。うちはもうほとんど不登校だったから関係なかったのでしょうか。

 

教育相談室とも連携を取りながら、学校の立場や状況を考え必死にやってきましたが、学校は上辺だけ保護者に寄り添うポーズをするんですね。

 

 

この事実を知った時から悲劇のヒロインになるつもりはないのですが、虚しさと同時に去年の私が可哀想で泣きそうな思いになります。

 

次男が4年生の2学期に当時の担任の指導ミスが原因でイジメにあい、そこからの学校の対応にはどれだけ裏切られてきたか。

 

その背景があっての昨年度。不登校製造機の教師が学年主任だったせいで、状況は悪化の一途。しかもイジメの加害者が同じクラスという信じられない状況で、何度も心を折られながらも教育相談室のチカラを借り、学校と子供の間に立って調整を続けてきました。

 

その甲斐あってか、次男も学校行事には参加したり、クラスで1年半ぶりにテストを受けたりと少しずつですが、人との関わりが持てるようになってきました。

 

でも私は…。頭ではいろいろ分かっていても、体と心が拒否反応を示すようになっています。本当に辛いです。

 

 

そんなこんなで、ものもらいになってしまいました。もうストレスしかないもの…。

 

忘れて休日を楽しみたい。でも、学校に戻る日が1日1日近づいてくる。心がしんどくて休日を楽しみきれない自分がいます…。

 

LITALICOワンダー